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この小説は、新曲「ハルジオン」の
原作(短編)小説です。

ボーカル・ikuraより

原作小説を読んで、恋愛小説という大きな枠組みの

お話ですが、その中でも夢を追う姿っていうのが

鮮烈に描かれているなと思いました。

特に印象的だったのが、主人公が桜の蕾を見て、

それを自分と重ねて前に進む力に変えていく様子です。

この曲を実際にレコーディングするときも、

最初は淡々とメロディーが流れていく感じなんですが、

ラストにかけて主人公の心の変化と一緒に、

上がっていくボルテージをうまく表現できたかなと思いますので、

ラストサビはぜひ聞いていただきたいです。

さん、にぃ、いち……。

ゼロがくれば、あなたからの電話が鳴る。そう期待して、カウントダウン。もう何百回くり返してるだろう。子どもっぽいおまじない。

換気扇の下、センチな気分に酔って、あなたが吸っていたのと同じ銘柄の煙草に火をつけてみる。

やっぱりというか、なれず、ハデにむせた。

肺がひりつく。

そんな自分にいらつく。

わたしの唾液がフィルターを濡らす。

煙の白い線が換気扇に飲みこまれ消えてなくなる。

まるで、あなたとの関係性のように。

     *

太陽は真上にあった。

透度の高い、空の青さに目の奥が沁みた。それでも負けず、わたしは顎をあげる。ひこうき雲の線がじんわり溶けはじめている。

桜並木には、祝福の声がこだましていた。満開だった。ひらひら舞いちる花びらのなか、みんな写真を撮り、ハイタッチし、はしゃいでいた。

早起きして美容室で結ってもらった黒髪。本当は買いたかったけど、お金がないから仕方なくレンタルした着物。だれかが『人生の夏休み終了!』と書いた横断幕をもって叫んでいる。

わたしたちは美しかった。

たしかに、未来はこの手にあったんだ。

だって、あなたは照れくさそうに微笑んで、いってくれたから。

「卒業しても、俺らはなんも変わんないよ」

その言葉をわたしはしんじた。

あなたの頭皮の匂い。すこしのびた手の爪。舌の感触。朝焼けに染まったシーツには、ふたりの形がシワとなって残っていた。確かにわたしは、あなたの言葉にうなずいた、はずだった。

でも、日々はどうやったって過ぎていく。

むごいほど、わたしやあなたに目もくれず、うごいていく。

過去は変わらない。

不確かなのは、今のほう。

かよっていた美大を卒業し、あなたは有名な広告代理店に、わたしはその下請けの下請けをこなす、イラストがメインの制作会社に入った。

四月を越えた先にあった現実は、ただの早起き。ただの満員電車。ただの上司からの注意。ただの残業。その「ただの」が、あなたとの時間を壊していった。描きたくもない絵を描いて、急な発注の変更に対応して、それでも結局ボツになったりして、あー、たぶんわたしはいま鬱なんだろうなとか思ったりしていたら、家からでれなくなっていた。

おもにコンビニの袋や、飲みかけのペットボトル、汁の固まったカップラーメンなんかで構成されたくらい部屋で、スマートフォンを眺める。画面に映るわたし。が、笑ってこっちを見ている。

バカみたい。

ピースして、変顔して、あなたに抱きついて。バカみたい。

もうあんな顔できない。

あんな顔して笑えない。

     *

小雨が降っていたあの日、あなたはいった。

「なんで、こうなっちゃったんだろうな」

「わかったらこんなことなってないよ」

そういってわたしは、おかしくもないくせして笑った。でないと、泣いちゃいそうだった。わたしは笑い続けた。鼻水たらしながらバグったみたく笑うわたしを、あなたは困った顔で見ていた。なにかいいたいのに、いえない。いわない。そんな顔。で、あなたはわたしを黙らせる。

あなたは器用でずるい。会う頻度で、会話のちょっとした間で、わたしへの気持ち、その度合いを示す。

最後の言葉さえ、わたしにいわせた。

そう、わたしたちは「ただの」元・恋人。

知ってる。

わかってる。

のに、もう一度だけ会いたかった。

あんなに一緒にいたのに、部屋のどこを探してもあなたの気配はなかった。唇にできた吹き出物がシーツにこすれる。いつも寄り添ったはずのベッドにさえ、あなたの匂いは見つからない。涙がでなくて、どうしていいかわからなくて、ひたすら、枕に鼻を押しつけた。お別れの日、自分の荷物だけきれいさっぱり持っていった、几帳面なあなたを恨む。

あなたは逃げたんだ。

わたしから。

こんなダメなわたしから。

     *

バックれた会社からの電話も鳴らなくなった。

日が暮れるとともに目を覚まし、日が昇るころに眠る生活。もうそれは日常になっていた。支えは、一応振り込まれていた先月分の安月給。寝すぎと運動不足で痛む腰をさすりながら、やっと身体を起こす。今日も部屋はくらい。炭酸のぬけたコーラで喉を潤し、伸びすぎた前髪をかきあげる。堕落。学生時代のほうがよっぽどマシだった。

ザ・廃人のできあがり。地球上で無意味な生き物ランキングが開催されたら、きっとわたしはかなり上位に食い込む。なんて、無意味な妄想にふけりながら、期待半分のカウントダウンをしてみる。

さん、にぃ、いち……。

ゼロの寸前、電話が鳴った。あなた──そう思ったが、大学の同期・ユリちゃんからだった。おめぇじゃねえよ。スマートフォンを壁に投げつけたかったが、とりあえず電話にでた。ユリちゃんは日本画で、わたしは油絵。専攻はちがったが、サークルが同じで学生のころはたまに飲んでいた。

ユリちゃんは大学卒業後も就職せず、カラオケ店でホールのバイトをしながら絵を描きつづけている。そんなユリちゃんを、内心バカにしていた。こんな先のわからない時代、才能をしんじて、夢なんか追って。どうせ咲かない花のくせして。

『あんた、仕事辞めたんだって?』

あらためて言葉にされるとけっこうダメージを食らった。だいたい、どこからその情報仕入れた? まだ親にもいってないのに。が、かろうじて踏ん張り「なに、冷やかしの電話? 性格わる」といい返す。

『ごめんごめん。そうじゃなくて、今度個展やるから来ないってお誘い』

「コテンって、あの個展?」

他になにがあんのよ、と笑われながら、場所と時間を聞いた。

『どうせずっと引き込もってんでしょ。たまには外出なよ?』

うっさいな、といい捨て、わたしは電話を切った。

またひとりになった。

     *

化粧なんかしたの、いつぶりだろう。

以前はわりと、おしゃれは好きなほうだった。けど、イラストの制作会社に入ってからは睡眠不足とストレス、それに機械のごとく働きつづけるキモい同僚たちとの毎日にかまけて、顔はマスクで隠せばいいやという女になっていた。当然引きこもってからは、誰に見せるでもないスッピン。出がけ、鏡に映ったわたしはちょっと気合いが入り過ぎてる感じがして、化粧をやりなおした。

外にでると、久々に直で受けた日差しが痛かった。

鳥のさえずりもピーチクうざい。

街の活気にたじろぎながら、重い足をひきずり駅へと進んでいった。

ピッという自動改札の音さえわたしを威嚇してくるようだった。

何度か電車を乗りついでやっと着いたのは、代沢にあるギャラリー。外で、数人がコーヒーを飲みながら談笑している。

脇をすり抜け、ちょっと重たい扉を開いた。広くはないけど、白を基調としたシンプルな打ちっ放しの内装で清潔感のある空間。

その壁三面が、四季折々の花の画で彩られている。

まだ花ひらくまえの、桜。細いながらしっかり支える枝に、咲いていないからこその、未来への生命力にあふれた蕾たちの姿が描かれている。その隣では深い群青の花弁をたたえた紫陽花が、雨の雫に濡れ、つつましやかな美しさを放っている。夏の日の、向日葵。香りさえただよってきそうな晩秋の金木犀。冬の厳しさを耐えぬいて咲いた、梅の花。

どれもが瑞々しかった。かなり繊細な岩絵具と水と膠のバランスでないと生まれない色彩。

「来たんだ」

声をかけられるまで、自分が魅入っていたことさえ気づかなかった。ふり返ると、紺のワンピースを着たユリちゃんがにやついて立っていた。

「すごいじゃん」わたしはいった。

なんのためらいもなく、心からの感想が言葉となってこぼれる。

「へへ、そうかね」

「そうかねじゃないよ。これ、ずっと描いてたの?」

「うん」

ユリちゃんは八重歯をだして、笑った。晴れ晴れとしたその笑顔が、逆にこれらの作品にどれほど魂を注いだか、その証明のように思えた。

ほかの来場者から名前を呼ばれ、ユリちゃんは「はーい」と元気な声で答える。忙しそうだ。画集でも買ってやれたらいいけど、いまのわたしにそんな余裕はない。じゃ、といって、わたしはユリちゃんの邪魔をしないようそっと出口へむかおうとした。そのとき、腕を掴まれた。

「あんたも描いてみれば」

ユリちゃんは笑わず、まっすぐわたしを見ていった。

「あたし、あんたの描く画、わりと好きだったよ」

聞いたことのある台詞だった。

そう思ったら、あなただった。

あなたはいつだって、わたしの描いた画の最初の鑑賞者だった。

「俺、お前が描いた画、好きだよ」

いま思うとちょっと上から目線の感想だけれど、他人の作品をあまり褒めない人だったから、素直に嬉しかった。

帰り、新宿の世界堂で二十号カンバスを買った。

しずみゆく夕日がわたしの頰を真っ赤に染めた。

     *

買ってきたカンバスを、イーゼルに立てかけた。

むきあう。まっしろの、まだなにもないカンバスに。

これは世界だ、と思う。このまっしろな世界に、わたしはなにを描くのか。しばらく、じっとしてただ見つめていた。

いまのわたしが、描くもの。描くべきもの。

「いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ」

むかし、岡本太郎はそんなことをいったらしい。

あなたが自慢げに教えてくれたのが、なんか懐かしい。

しばらく押入れで眠っていた、筆の感触。

軽く、柄を握る。

パレットに広げた十二色の絵の具。

油壺からただよう溶き油の匂い。

ゆっくりと息を吐く。

目をつむる。筆先が身体の一部となっていく。

わたしは、あなたの街にいた。

無人のコインランドリーが夜道に光っていた。

直してって頼んでも、かたくなに修理しなかった洗濯機。脱ぎ捨てたふたりの衣類をポリ袋につめ込んで、わざわざここまで洗濯にかよった。

「こっちの方が、洗った感じすんだよね」という、あなたの妙ないい訳を思いだす。

商店街に、人の気配はない。

猫がどこかで啼いていたが、姿は見えない。

ヤー、ヤー、ヤー、と奇声をあげながら、あなたの自転車の後ろに乗った夏もあった。精肉店のコロッケをふたつに割って、分け合った冬もあった。スニーカーの底、わざと剥げかけたアスファルトでこすった。

どの店もシャッターは降ろされ、冷たい月がわたしを見下ろしている。繋いで歩いたあなたの手。その感触、その温度。

ずっと、こびりついて離れない。

路地を曲がる。せまい道の両脇に、アパートがひしめく通り。いつだって、雨に似た匂いが、この路地には立ち込めている。

はじめてあなたにキスされた場所だから?

目を閉じて、おそるおそる唇を寄せたあなた。を、本当はわたし、ずっと見ていた。胸がはずむようだった。つま先に力が入った。あのころのわたしはまだ、髪が長かった。

出会ったのはサークルの飲み会。

お金なんかないから、宅飲み。場所はあなたの家だった。

さんざん飲んでみんな寝静まった夜更け、床で目を覚ました。あなたは隣で眠っていて、寝がえりをうった拍子、足が触れ合った。かかとは乾燥してカサついていた。

あの、ドキドキ。

あなたの優しい寝息にも触れてみたいと思った。

だれかが酔って倒した窓際の花瓶から、水がこぼれていた。床にできた水たまり。反射した、すんだ月明かりが綺麗だった。

懐かしい街で、わたしは叫ぶ。

あなたの名前を大声で叫ぶと、返事が聴こえた。

ああ、こんな声だったな。

その声を追うように、足を進めた。いや、走った。膝を高くあげ、全力で走った。関節が擦り切れてもいま走らなきゃ、ずっと後悔する。わかりきったこと。でも、できなかったこと。

坂をのぼりきると、小高い丘にある公園が見えた。いつか遊んだジャングルジムは、砂場に切り絵のような影をつくっていた。

あなたは、ブランコに腰かけ煙草を吸っていた。

長いまつ毛を瞬かせ、「よお」という。

わたしも「よお」という。

次の瞬間、丘のむこうに広がる街々が輝きだした。

人の営みは光となってわたしとあなたを照らす──。

部屋に立てかけたカンバスには、あなたと居た街があった。

もうすぐ夜が終わる。

気づけば全身、汗で濡れていた。いやな汗じゃなかった。その場にへたり込んで、筆をパレットに置いた。

本当はずっと一緒にいて、わたしのこと全部わかってほしかった。

弱いとこ、ダメなとこ、あなたにもっといっぱい受け止めてほしかった。けれど、二十数年ずっとわたしを生きている自分がわたしのこと受け止めてきれないんだから、まぁ、無理か。

希望はなくとも、あなたがいなくても、わたしはこれからもわたしを生きていかなきゃいけない。あなたといた、恋しい日々を抱きしめて。

きっともうわたしは、カウントダウンなんかしないだろう。子どもじみたおまじないなんかに頼ることはないだろう。

すくなくとも、カンバスのなかにいる二人の風景は、ハッピーエンド。それだけでよかった。あなたからの電話の代わりに、お腹が鳴った。

もうちょっとしたら、たまには朝食でもつくろう。

そんで、お腹いっぱい食べよう。

うん。

そうしよう。